大正時代より芸術教育を実践した祖父について

祖父 星野政蔵(1885~1966)について

星野政蔵
専門:音楽教育
明治40年23歳で神奈川師範学校本科を卒業し、小田原・鎌倉・横須賀の各地の小学校に赴任。
東京藝術大学 音楽学部でバイオリン奏法を学ぶ。
明治、大正の中で、クラシック音楽に触れ、自らマスターする事により初等教育においても、クラシック音楽の鑑賞の重要性、ドレミ音階へ移行させるなど、西洋の音楽を取り入れる等の、日本の音楽教育の変革を行ったといわれています。

大正13年39歳の若さで横浜市第三南吉田尋常高等小学校の校長に就任。のちに叙勲六等瑞宝章授与。この学校は関東大震災直後、横浜の復興事業の一貫として、小学校では全国では珍しい最も近代的な鉄筋コンクリート校舎として大正15年に完成。横浜の浦舟町にその威容を誇っていました。この校名は後に横浜市三吉尋常高等小学校と改名しています。

祖父はこの校舎建設に校長として参画・完成させ、太平洋戦争の終結する昭和20年に退職する21年間をこの学校に勤務いたしました。祖父が退職すると同時に、横浜市立医大に移管され、廃校となってしまいました。一校の誕生から廃校までの二十余年の間、一代の校長で終わったという学校は、当時としても現代でも大変珍しいケースです。

大正デモクラシー時代の後半から、昭和前半の戦争で明け暮れそして敗戦を迎えた文字通り日本の歴史の激動期の小学校教育に、校長として一校に命を賭けた祖父は、晩年『きわめて満足』ということをよく話していたそうです。
星野政蔵

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